アントワープ・ノートルダム大聖堂 (Antwerp)
2004/06/03
■アントワープ・ノートルダム大聖堂 (Cathedral of Our Lady Antwerp)
ネロがいつも「マリア様」に祈っていた場所、そして最後に息絶える前に「ルーベンスの絵」を見ることができた場所が、アントワープのノートルダム大聖堂である。この”ノートルダム大聖堂”という名前、ベルギーやフランスやオランダや・・・あちこちにあるので僕はどれが正しいの?と混乱していた。どうも日本で言う”八幡神社”や”稲荷神社”と一緒で、”どこの”ノートルダム大聖堂なのか、を省かないほうがいいみたいだ。
(ノートル=私たちの、ダム=貴婦人 つまり、聖母マリア様を祀る大聖堂ということ)
…ということで、アントワープのノートルダム大聖堂は、「アントワープ大聖堂」という表記の方を使わせていただきます。
1352 年に建造が開始され、1520年に完成したネーデルラント地方最大のゴシック教会堂。47個の組鐘を蔵し、123mの高さを誇る北鐘塔は、ベルギーにただ 2つしかないブラバントゴシック様式の完全な塔の一例だそうである(もう一つはブリュッセル市庁舎)。 南鐘塔は資金不足のため未完のまま断念された。1559 年からは司教座がおかれてカテドラルと呼ばれている。堂内には「キリスト降架」、「キリスト磔刑図」、「聖母被昇天」、「キリスト復活」など、ルーベンスの数々の傑作がある。
(観光局ガイドより)
フランダースの犬(原題:A Dog of Flanders)は、イギリスの女流作家ウィーダ(Ouida)の書いた童話である。
物語の舞台はベルギー北部のフランダース(フランドル)地方。 主人公ネロたちが生活した村のモデルとなったのは、アントワープの南西にあるホーボーケン(Hoboken)であったと現在では考えられている。 1872年に刊行され、日本でも1952年に翻訳されているが、名作として親しまれるようになったのは、世界名作劇場(フジテレビ)でアニメ化されて以来と思われる。
作者ウィーダがこの作品を執筆した頃、ホーボーケンにはまだ風車が残っていた。アロアのモデルと思しき女の子がいたことも確認されているとのことである。 アニメのおかげで、かつては現地よりも日本でのほうが知名度が高かったこの物語ではあるが、今では「ネロとパラトラッシュの銅像」が立つほど広く知られている。
※1986年にホーボーケンにネロとパトラッシュの銅像が建てられた。また、2003年にはアントワープ・ノートルダム大聖堂前の広場に記念碑が設置された。この背景には、日本人観光客からの問い合わせが多いという事実もあったようだ。
「フランダースの犬」 あらすじ:
フランダース地方の小さな村に住む少年ネロは、祖父や老犬パトラッシュと共に暮らし、ルーベンスのような画家になることを夢見ていた。 しかし、祖父の死後、村の風車小屋が焼けた火事の放火犯との疑いをかけられたことで、村から彼の居場所は失われてしまう。 賞金が出る絵画コンクールの審査発表を待つネロだったが、コンクールでは彼の絵は落選であった。
凍てつくクリスマスイブの晩、住むところも希望も失ったネロは、疲れ果ててこの大聖堂にやってきた。。。すると、普段はカーテンで閉ざされているこの絵のカーテンが、その晩に限って開いていた。 薄暗い大聖堂の中でも、ステンドグラスから漏れる月の光に照らされて、はっきりと絵を見ることができたのである。 その頃村ではネロに対する誤解は解け、更に彼の才能を認めたコンクールの審査員がネロを引き取ろうと訪れていたのだが、全ては手遅れであった。
「一度でいいからこのルーベンスの絵をみてみたい」。。。。 ついに夢をかなえたネロは、この絵の前で満足そうに、そして安らかに、愛犬のパトラッシュと共に永遠の眠りについたのである。